興味を持って頂けるでもなく 話しかけて頂けるでもなく 趣味のお店に一緒に行きたいと思われるでもなく やっぱりいいなあって うらやましいなあって思いながら いつかだれかのおよめさんになるのを指をくわえてみてるだけしかないんだな 

 体調悪くなった時も ひとりじゃなければ少しは安心だったんじゃないかな ぼくがとなりにいられたらいいのにな なんて思ったけど お店に一緒に行きたい人いるんですもんね ぼくなんかじゃ却って具合悪くさせちゃうだけで

 やっぱりぼくの言葉はうれしいって思われることができなくて 全然そういうふうに生きられてないんだなって思う ちょっとでも価値のある存在になれたらよかったな やっぱり自分にとってたいせつな人がみつかっても その人に話しかけてご迷惑にしかならないのは 40年以上も全然価値のない生き方しかできてないんだな

 ぼくってなんなんだろ 憐憫の対象かな

 憐憫じゃないか きっと怖かったと思う 嫌いな相手にこんなにすきって言われて嬉しいわけないよね

 でもひとつだけ聞いてみたかったなあ どうしてぼくのことば聞きに来てくれるんですか 聞いてくれたら 想い続けたら 叫び続けたら いつか届くのかなって思ってしまう

 気持ちの置き場所がなんだかどこにもない感じで ココロなんてなければ 本当に架空の存在になれたら楽だし ご迷惑にもならなくていいのに

 なんで叶わないのわかりきってるのに頑張りたいって思っちゃうんだろう

 考えれば考えるだけどんどんつらくなるし つらくなればなるだけどうしてもすきなんだって思うし

 9月の飛行機もキャンセルしたからこれでだいじょうぶ 万一すれ違ったりして嫌な思いさせちゃったらいけないもんね ぼくが行かないってわかればきっと安心して頂けるから どれだけ嫌われてるかな ティアも行かないって言えば安心してもらえるのかな  ゆうてもせんせいのまんがは読みたいけど ゆうてもせんせいがスペースにいないときに行くようにすれば安心して頂けるのかな ぼくが存在してるのがだめなのかな

 ぼくには自分から消える勇気はないから まずは9月に大阪に行かないように できるのはそのぐらい

 

 ニュース見てたり ごはん作ろうって思ってお買い物行っても みんな家族連れだったり 売ってるのも大家族サイズで いいなって思う ぼくは家族がいていい思い出ってあんまりないから きっと神様がひとりでいるのがいいって思ってひとりきりにしてくれてるんだと思う 家族のしあわせあんまりわからないから 家族を持ってもしあわせにはできないっていうことなんだろうなって思う

 そんなふうに考えたら かみさまのせいにしたらちょっと楽かな ぼくにだれかをしあわせにすることなんてできないんだから